平尾望東尼150年忌祭に向けて

今日も胸を張って、元気よく!!
福岡市議会議員の田中しんすけです。

本日は平成27年度・平尾望東会総会が開催されました。
平尾望東会とは、幕末を平尾山荘(現:平尾山荘公園)の庵で過ごした歌人・野村望東尼を顕彰する団体で、地域の自治会関係者を中心に構成されています。これまで田中しんすけも平尾望東会の様々な活動に関わってきましたが、今日の総会で正式に当会の顧問として承認いただきました(^^)
引き続き、これまで以上に会の発展のために力を尽くしていきます!
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※上記は平尾山荘公園にある野村望東尼の胸像。

そして、現在の平尾望東会にとって最も重要で関心の高いイベントが野村望東尼150年忌祭です。
来年度に迎えるこの150年忌祭に向けて既にプロジェクトチームが発足し、記念モニュメントの設置や記念行事の企画が進んでいます。また、この150年忌祭を盛り上げていくための関連イベント(講演会、各種公募展、記念ツアーetc.)も併せて開催されますので、どうぞご期待ください!

さらに、今年度から平尾校区の各世帯への配布が始まった「平尾望東会だより」。
紙面には野村望東尼の生い立ちや功績についての紹介がシリーズで掲載される予定です。今回はプロローグとして幼少時代の様子が紹介されていますので、当ブログにおいてもその一端をお知らせいたします。

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本名は「浦野もと」。野村貞貫と結婚してからは「野村もと」、そして、夫が亡くなった時、剃髪・得度して尼になり「野村望東尼(ぼうとうに)」と呼ばれるようになりました。
江戸時代末期の文化3年(1806年)に、福岡城の南側の谷・お厩後(現:赤坂3丁目)で藩士・浦野勝幸の三女として生まれました。浦野家は、中津時代の藩主・黒田長政に召し抱えられますが、その時家宝の「水牛の兜」を差し出しました。長政はこの兜をかぶり戦場を駆け巡りました。浦野家では、その兜の複製(レプリカ)を作り大事にしていましたが、後年火事に遭った際、外出から急ぎ帰った少女・もとは真っ先に「水牛の兜は無事ですか!?」と尋ねたと言われています。それが世間に伝わり、
”浦野のシャンシャンはジョウモンのシャレモン(浦野の娘はしっかり者の器量よし)”
と評判になりました。
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※以降、次号に続く!


田中慎介


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