6月14日8時33分、父・憲一と母・幸枝の間に、
長男として鹿児島県にて誕生。
父は鹿児島県薩摩郡出身、母は鹿児島県種子島出身。
薩摩隼人の血を濃く受け継ぐ。
生まれてまもなく、父親の仕事の都合で沖縄(那覇市)に移住。
父親の仕事の都合で福岡市博多区へ移住。
山王幼稚園で幼年期を過ごす。
最寄の山王公園を駆け回って育つ。
ありがちながら、初恋の相手は幼稚園の先生。
在籍中に先生の結婚を聞き、初めてのハートブレイク。
小学校への入学を機に、福岡市南区平和へ移住。
西高宮小学校にて少年期を過ごす。
叱られ、叩かれ、躍進した6年間。
放課後は、暗くなるまで小学校のグラウンドにて少年野球に没頭。
いまでも田中しんすけの政治活動を応援サポートしてくれる
大切な友人たちと出会う。
私立西南学院中学校(当時は純粋な男子校)にて
思春期前半を過ごす。
とにかく異性に興味を持った3年間。
部活動は野球部に所属。ポジションはピッチャー
(本当はキャッチャー志望だったが、同期に「いかにもキャッチャー体系」
がいたため願い叶わず)。
速球右腕だが、ファールで粘るバッターが苦手。
中学3年時には、生徒会長選挙に立候補、当選。
当時から、「政治なるもの」に興味を抱いていたのかも。
福岡県立築紫丘高校にて思春期後半を過ごす。
叩かれ、叱られ、躍進した3年間。
部活動ではバレーボール部に所属
(中学校時代に肘を壊したため野球を断念)。
自分はバレーボールには向いていない事を悟る。
高校3年時の運動会シーズンは、最も良い思い出のひとつ。
歓喜のあまり涙を流したのは、この頃が最後のような。
卒業時には、題49回同窓会代表幹事を拝命。
この頃、現在の妻・美也子(高校の同級生です)と出会う。
九州大学法学部にて成人期を過ごす。
とにかくアルバイトに没頭した5年間
(ガソリンスタンド、および実家の学習塾の手伝い)。
3年次からは藪野祐三ゼミ(政治学)に所属。
4年次には、諸見里道浩ゼミ(政治学)にも所属。
地方自治体の財政問題、一方では日米安保に関する問題を研究。
「世の中の仕組みを知りたい」という欲求にかられ、読書に没頭した日々。
4年次には卒業確定単位が2単位足りずにネガティブな留年。
某金融機関に就職予定だったが、留年で白紙に。
この時期、当時交際していた現在の妻・美也子に去られる。
暗黒時代
早稲田大学大学院政治学研究所(行政学専攻)へ入学。
公共政策について専門的に学ぶ。
縣公一郎研究室に在籍し、修士論文作成のための研究指導を受ける。
修士論文では、
公共サービス提供時の民間活力の導入手法のひとつである
PFI(Private Finance Initiative)を題材として扱い、
神奈川県におけるPFI事例を基に、
PFI事業の有効性について論証する。
同時に初めての東京生活に苦しむ。
6畳1間の風呂・エアコン無しの部屋で2年間を過ごす。
とにかくお金がなく、銭湯には2日に1回、バイト先のコンビにが唯一のライフラインという時代。
アクセンチュアというコンサルティング会社で2年弱勤務。
官公庁本部に配属される。
問題を発見・解決するための思考方法と論理的に物事を
考え判断する技術を養う。
同時に、IT技術を駆使したシステムの構築に携わり、
特にシステム基盤と言われる分野についてのスキルを獲得。
その後、前述の妻・美也子と再び交際を始め、そのまま結婚。
結婚後は横浜市港北区に移住。
政治の道へ進むことを決意しアクセンチュア社を退職。
故郷の福岡へ移住。
田中しんすけ後援会を設立し、代表に就任。
福岡をすみよい町にするための活動と並行して、
福岡青年会議所をはじめとする、
各地域団体のメンバーとして活動。
政治を志すことを相談すると、父親以外のすべての人に反対されるも、
自分の決意は変えられなかった。
民主党公認候補として中央区から福岡市議会議員に立候補し、
9,829票の支持をいただきトップ当選。
議員としての仕事がスタートする。